船場川の歴史

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熊本県宇土市の市街を流れる船場川は、16世紀末に肥後南半国を領したキリシタン大名小西行長の宇土城とその城下町整備に伴って改修が行われました。

明治時代中頃に船場川と改称された宇土川は、宇土城下町の東の守りとして石ノ瀬城の堀の役割のために流路が替えられ掘削されたのが始まりです。

その後、江戸時代になって肥後細川藩の支藩として入部した細川行孝の折に、藩邸や武家屋敷その他の整備と共に船場一帯の整備が行われ、運河として機能するように堀の掘り直しがなされました。

細川家による船場一帯の整備によって藩米は大坂まで運ばれて藩の財源となり、船場には天草や島原をはじめとして各地から盛んに船や人々の往来が増え、物流の拠点として栄えていきました。

左岸の船場側には轟泉水道の終点の井戸もできており、馬門石を使った船場橋はじめとして、歴史的建造物や石段、榎群が残り、近くには島原天草の乱でよく知られるキリシタンの天草四郎が幼少期から青年期を過ごした場所もあります。

このような歴史的スポットに古くから残る蔵を再生し、地域密着型のコミュニティセンターとして活用するために船場川蔵の会は発足しました。